すべての命が、自らの仏性に目覚める旅路を共に歩む道場です

真のあなたに立ち返る大乗(金剛乗)仏教への誘い (本当の愛に至る道)

当山は信徒様を募るために開かれたのではありません…。

また、願いを叶えることを、目的としているのでもありません…。

故人のための葬儀法要だけの場所でもありません…。

ここは、ーー
すべての「求める声」が、静かに鎮まり、
あなたの奥に、
密かに灯る仏の光が、
そっと目を覚ます場所です。

仏道とは、
何かを得る道ではなく、
何かの願いを叶える道でもなく、
自らのいのちそのものが、
永遠の法身(ダルマカーヤ)であったと悟る道です。

願いが叶うことよりも、
願いが消えゆくことのうちに、
あなたは真の自由と静寂と愛に至るでしょう。

龍尚寺は、
欲を叶える場所ではなくーー
その私という感覚(自我)を越えて、
あなたそのものが、法そのものとして生きるきっかけの場所です。

もし、あなたが
外へ向ける意識を止め、
内を深く見つめることを勇気をもってはじめられたら、
きっと気づくでしょう…。

あなたの内に、
初めから在り続けた「仏」(真の愛のもとの無限無辺なる働き)が、
そこに目覚めていることを

一人ひとりの中に、宇宙と同じ広がりの何かがある、と言われてます。
 龍尚寺は、仏道の本質を証悟し、 心の奥深く――
法性(ほっしょう)と一体になる道を歩む道場です。


師に習い、経典や教えの本質を学び、その中で、実際に体験し確認することが肝要です。


大切なのは、**「今の私が本当の私なのか」**「今まで確信していた私の受け取り方・考え方は正しかったのか…」
という問いに、 体ごと向き合っていく、静かな勇気です。


空海様、最澄様、数多の祖師方の足跡に倣い、 私たちは「真のいのち:自我を越え、普遍的な愛の状態に至り、計り知れない無分別の作用の器」(法の器)への道を実践しています。


もし、今、あなたの心に何かが響いたなら―― それはすでに、仏への旅(あなたの魂が最も求めていたもの)の始まりかもしれません。

合 掌

仏教本来の伝授とは何か?

本来の仏教とは、何を目指す道だったのか。

現代の多くの寺院では、「葬儀」をはじめ「厄除け」「合格祈願」「家内安全」「心願成就」など、様々な‘‘願い‘‘に応える祈祷法要が修されています。

これらは人々の現世の願い、不安に寄り添うものであり、人々へ仏法の偉大な利益の一面を示してまいりました。

しかしながら、
それは本来の仏教の「核心」ではありません

そのようなことは、インドにおける釈尊の時代、バラモン教が「願望成就のための儀式」を担っていたことに類似しています。
そのような現実の中で、そのあり方に疑問を呈し、
人間の苦悩の根源を見つめ、
それを越える智慧と解放の道を示すために誕生したのが仏教(真理への道)です。

釈尊(お釈迦様)は、
神に祈ることでも、
儀式で運命を変えることでもなく、
自らの心を深く正確に見つめ、苦しみの根を見極めていくこと」を説かれました。

伝教大師最澄様は、摩訶止観を通じ、
仏道とは「心を明らかにし、命を平等に尊く生きる学び」であるとし、徹底して心を見つめ、
すべての人に仏性(ぶっしょう:仏となる性質)が、実際にあることを感得証明されました。

弘法大師空海様は、修法を通じ、
この身このままで仏となる道=即身成仏を明らかにし、
法則や経典の奥にある、深淵なる‘`法そのもの‘‘を体得し、
その智慧と慈悲をこの世に弘めることに生涯を捧げられました。

また、道元禅師は、
只管打座という禅道において、心身脱落という境地に至ると、我が存在は、法の働きそのものとなりて、衆生に自然に影響を及ぼす無言の法身となる。
と、説かれています(意解釈)


このように、偉大なる大徳の師僧方々も証得されていますように、
仏教とは、
願いを叶える‘‘手段‘‘ではなく、
**自らが仏となる‘‘道‘‘**なのです。

龍尚寺ではその本来純粋な仏道の在り方ーー
釈尊が開き、最澄様が探究体得し、お大師様が証明された真理(法身の世界)を、現代に静かにお伝えしたく思っております。

仏道とは、
まさに、あなた自身が生きてきた中での、悲哀・憤怒・孤独・絶望を実際に乗り越え、求めていた「真の愛・人間の偉大なる性質」を取り戻す道です。

それらを、体験上、お伝えしていくのが僧侶の本面目であり、寺院が‘‘道場‘‘である所以なのです。
合 掌

大乗仏教(金剛乗)とはーー真の仏教の拡大であり、深化である

近年、「原始仏教」(上座部仏教)こそが釈尊の教えの純粋な継承であり、日本の大乗・金剛乗仏教は後世の変容、逸脱であり、本来の仏教ではないとみなされる風潮があるようです。

しかしながら、
それは、本質を見誤った見解であると、私たちは申し上げます。

上座部仏教の教えが、釈尊の出家者としての戒律と「苦の滅尽」を重視し、阿羅漢果という悟りの境地を尊ぶことに一点の曇りが無いように、
大乗仏教(金剛乗)は、**その道の果てにある‘‘さらに奥深い誓願の境地‘‘
ーー全ての生命を共に悟らせようとする「無限の慈悲」と「その実践的方法」と「体験的証明」を新たな段階として、経験証明し、明らかにしてきたのです。

それは、釈尊ご自身が歩まれた**「苦悩する衆生と共に在り、導く道」**の延長に他なりません。

大乗(金剛乗)とは、仏教の本質に則った「心の進化」そのものであり、真理に向かって魂が自らを拡大していく動きの記録なのです。

それ故に、原始仏教があってこその大乗、金剛乗であり、むしろその到達を尊び、そこから更に歩む者の道としてーーあらゆる仏法を包含する道として、この世に現れたのです。

堅意大徳の著書『入大乗論』には、
大乗菩薩の在り方と精神的特徴が、明確に示されています。

1,大いなる包含性
 仏陀ただ一人の言葉に限定されることなく、真理が体得されたならば、過去の伝承をも超えてそれを受容する。

2,一切衆生への普遍的な愛
 根源からすべての生命を救おうとする、倦むことなき慈悲。

3,知的理解の深さ
 自我にも、現象にも、実体がないことを体験と智慧で知る。

4,驚くべき精神的エネルギー
 時間がいかにかかろうと、諦めることなく、衆生済度の道を歩み続ける誓願。

5,方便の偉大さ
 衆生を導くため、あらゆる方法を編み出し、苦悩する生命の次元に自ら転生し、共に在る。

6,より高い境地への探究
 阿羅漢果にとどまらず、法身の顕現を志し、智慧・自在・方便の完成を目指す。

7,無碍なる活動領域
 法身の器として、あらゆる宇宙の次元への働きかける力を持つ。

このように、大乗菩薩の精神と行為は、
まさに報身仏の顕現であり、
阿羅漢果の先にある、「法身として世界に働きかける悟り」の証であります。

私たちは、
この大乗・金剛乗の教えを、決して後世の「改変」としてではなく、釈尊の本懐の進展・拡大・目的顕現として尊びます。


そして同時に、
それを体得し、現代の衆生に応じた形で伝えていくことが、日本仏教において命を懸けて法を顕された祖師大徳様方々ーーへの報恩であり、私たち後世の使命でもあるのです。

龍尚寺は、この大乗・金剛乗仏教の教えの真髄を、
過去の文字の中に留めるのではなく、
「今この場で、あなたの内に顕現するもの」として証明し、静かに灯し続けてまいります。
合 掌




私について(東光山 龍尚寺 住職:天弘)

私という存在について、ご興味あるのでしょうか…。

私という存在について、お伝えしたいということは、実のところ、ほとんどありません

私は、私という個性の自我が、何者かになろうとしているのではありません。

また、あなたにとって、崇拝や依存の対象であってもいけません。

むしろ、「私」という存在が、あなたの心の中で意味を持たなくなることこそ、仏道の始まりですらあると感じています。

何故ならーー
この「私という自我」が、いかなる経歴を有し、いかなる特徴があると語ったとしても、
それは、あなた自身が悟る永遠の真理には関係がないからです…。

私の背後にあるもの、
それは「私のもの」ではなく、
全ての生命と空間に行き渡っている「法身」(ダルマカーヤ)そのものです。

私は、ただ、それを願い求め、それが、実際に顕れてくるために励んでいるのみです。

今、私は確かに、体験し知っています。

それは、思考を越え、言葉を絶し、あなたの最も深いところに静かに、しかし、とてつもなく力強く息づいている永遠の力ー
法身(ほっしん)という、無限の慈悲と智慧と働きの実態です。

それは、遠い過去から想像上語られてきたものではなく、今、この瞬間、あなたの内にも、
確かに息づいているものです。

それは、何か外にあるものを信じることではなく、
あなた自身が、あなたの内にある癒し・変容・目覚めの源泉にふれること。

私という名をもち、思考を有し、今世での経験から反応する心を有する存在は、ただ、
その法のなかに身を置き、
それが誰かの内に芽吹く瞬間に立ち会うことを、
静かに願い続けているにすぎません。

そして、その「私という感覚」は消していくものだからです。

そうぞ、「私」には意味を見出そうとせず、
「私を通して、法に触れてください」。

それが、私という存在が、今世、地上に在る、
たった一つの理由です。

【略歴】
・大卒後、社会人生活中、苦悩の中、仏道の師に出会う。
・高野山大学大学院入学
・真言宗単立寺院にて、社会人時代3年、出家9年の修行生活、その後独立し、自主的修行にさらに9年。
・報恩流(幸心方)授法、中院流伝法灌頂授法(第五十五代)、隠形流摩利支天抜刀道授法、因縁封能力開発加持法授法、
・東光山 龍尚寺 住職
・一般社団法人日本仏教協会 認可 第B-17号
 



「祖師大徳方々への報恩と、
       今なすべき仏教」
私たちは今、
仏教という無上の法が脈々と伝えらえてきた日本の大地に生きています。

この法の流れは、決して偶然のものではありません。
幾多の祖師大徳方々が、
命を懸けて守り、伝え、体現しようとした深き真理の火を、
私たちに託してくださったのです。

日本大乗仏教の系譜には、
行基様、最澄様、弘法大師空海様、
法然様、親鸞様、日蓮様、栄西様、道元様、
叡尊様、凝然様などーー

時代を越えて、己が命を賭して衆生済度を願い、
仏の真実をこの世に顕そうとした大いなる魂の系譜が連なっています。

さらにその背景には、
インドより脈打つ龍樹大菩薩、
中国天台の祖・智顗大師、
禅の源流・達磨大師、
そして大日如来の法を東土に伝えた真言八祖、恵果阿闍梨をはじめとする尊き師方の御姿があります。

これらすべての祖師大徳方々の願いは、ただ一つーー

「人間が、その心の奥にある仏性に目覚め、
この命を法として生き、他を照らす存在となること」

彼らは、私たちに「信じよ」とは言ってません。
「覚れ(さとれ)」と、魂を込めて語り続けています。

そして今、
その火を受け継いだ私たちは、
単に教えを学ぶだけでも、形式を模倣するだけでもなく、
仏法という真理を、心の根底から体得し、
実際に衆生にとって役立つ「無限なる存在」に立ち返ることが求められています。

それこそが、
祖師方の願いに報いる「報恩」であり、
この時代における仏弟子として正しい目標であるのです。

私たちは、その法の流れに「在る」ことを忘れず、
仏道の本質を見極め、
迷いの中にある衆生に、言葉でなく在り方によって仏道を伝えていく必要があります。

龍尚寺は、そのような場として、
法の灯を絶やさず、
祖師大徳方々の智慧と慈悲に報いる道を、
一歩ずづ、静かに歩んでまいります。

合 掌


 法務一覧
仏教とは、心の奥底にある「絶対に壊れないもの:真理」と再び出会う道程であります。

龍尚寺の法務は
いずれも‘‘問題解決‘‘を越えた‘‘本当の目覚め‘‘への導きとして存在します。

一人ひとりのご縁と魂の成熟に応じて、

柔らかく、しかし確かにーー
あなたの仏性が目覚めてゆくお手伝いをいたします


それらは、単なる問題解決ではなくーー

あなたの人生に隠された‘‘目覚めへの門‘‘を見出すための、
法(ダルマ)に根差した実践です。

1,人生・心の相談
離婚・親子関係・夫婦問題・対人関係・孤独絶望・人生感の喪失など、
その苦悩の心に寄り添い、「真理の目線」から共に見つめます。
始まりは「己自身を知る」ことにあり、これがただ続いていくのです。

仏道の智慧内観法身の働きを通じて、
表層の問題の背後にある‘‘心の本質‘‘に触れていくことで、
魂の変容と癒しが始まってゆきます。

長年の患いも消え、あなた自身だけでなく、外界も変容していくことをあなたは目撃体験していくことでしょう。
mail:koshohoshina@gmail.com



2,ご葬儀・年忌供養法要
当山では、ご葬儀、法要を、
ご縁ある方の心と故人の魂が、仏道の光(法)に結ばれるような時としての引導修法と心がけております。

「生とは何か、死とは何か、私たちの本性は何か、、」それに気づく場となるためのものです。

あなた自身が、生命の本質に触れること、自身の中の何かに気づくこと、心の囚われから離れること、こそが大切だからです、、。


3,良縁成就による縁結び
仏教的真理の視点から「愛とは何か」「人生の目的」を共に知り深め、

本当に成長し合えるご縁を見つけていきます

世の評価されるものに翻弄されない、真に大切な尊愛すべきものを見極める目を持てることでしょう…。

「心の成熟」と「信頼」を土台とする良縁は、
やがて仏性開眼へと昇華してゆく道となります。


4,実践修行・瞑想・法の学び
「仕事が順調である、対人関係が安穏である、物質的に困らない、夫婦関係や対人関係が円満幸せである」、これらの最大の後押しとなるものは、世俗の知恵やエゴの思考の中にはございません…。


あなたの中にある法身という真理に触れていく過程の中に、人生のあらゆる苦悩・囚われが自然と除かれる理があり、あらゆる幸福の因と縁がその中にあるのです…。

合 掌


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あなたの知らない仏の真の世界

仏教とは「宗教」ではなく、いのちを生きる智慧の道(真理の道)

仏教とはーー
本来、「宗教」という枠を越えた、
いのちそのものを目覚めさせる普遍の道であり、
誰もが、心の最も深いところに静かに触れられ、確かに感じ取れる真理の実践です。

それは、
誰か特別な能力ある人物に隷従することでも、
「偉大な師」と「未熟な私」という上下関係で依存するものでもありません。

真理は、外にあるのではなく、あなた自身の内にあります

仏教とは、
教えを秘密にしたり、特別の人が占有するものではありません。
ただし密教では、その人が悪道にいかないために、未熟な内は秘密にしておくことはあります)

思考では捉えきれないものが、あなたのいのちの奥底で、あるとき静かに目覚める
ーー

それが仏道です。

それは言葉を越え、論理を越え、
命の最奥からじんわりと湧き上がり包まれる、智慧と慈悲の体験の道。

この道は、
信仰する人だけのものでもなく、宗派だけのものでもなく、
あらゆる人に開かれた、最も尊い命の道なのです。

仏道とは、
あなた自身が仏として歩みだす、その人生全体のことなのです

 人は光の中に生まれるのではありません。(この地上への転生の意味)
 闇を知り、苦しみを抱え、その中でーー「それでも光や善はある」と願い続け、行動をし、はじめて、その中に仏が(真理が)現れてきます。

 私自身は、決して‘‘一般的な幸せな人生‘‘を歩んできたとは言えません…。
 愛する者たちの心身の病と喪失、環境に満ちた不安と孤独と悲しみ…。
 理不尽と感じる無慈悲な体験、
 心をどこにも預けられず、ただ「なぜ私は生きているのか」「どうすれば周囲と自身の問題は真に解決するのか」と大変な長期に渡り、
 苦悩し問い続けてまいりました。
 
 真の善なる心、誠の愛、誠の力、を求めさまよって参りました。
 
ある日、長い長い旅路の末、長年の
苦悩そのものが、‘‘仏の道‘‘の種であったと気づいたのです。
 
私の叫びは、誰かの叫びであった。私の涙は、誰かの涙であった…。

 この命を仏に預け、この場所にて、一人ひとりが本当の‘‘光‘‘を取り戻す道を共に歩みたいと 
 願っています。

 「ここは、貴方が真の自分を知る場所
 ここは、誰にも言えない悲しみ怒りがすこしづつ‘‘詩‘‘になる場所
 ここは、仏が、あなたの心に触れる場所ーー。」  

 どうぞ、気楽に、静かに訪れてみてください。
 仏は、声なきあなたの祈りを、必ず聴いています。

 南無帰命頂礼一切日本大乗金剛乗菩薩摩訶薩
 南無帰命頂礼佛母大孔雀明王
 南無転迷開悟不動明王
 南無最澄伝教大師
 南無光定別当大師
 南無円仁慈覚大師
 南無大師遍照金剛
 南無真雅法光大師
 本山にて仏道基礎を指導いただいた師僧様
 法流血脈の流れに結んでくだっさった導師様
 今世において肉身を賜り人生苦悩の現実を学ばさせてくださった両親親族一同様
 一切恭敬敬禮常住三宝  
 帰命頂礼大悲毘盧遮那仏         





本尊(報身仏) について

当山のご縁の本尊(報身仏)は佛母大孔雀明王という尊格です。
 
 不思議な導きと深いご縁の中から、この報身佛との出会いが生まれました。

 ある日ある方を通じ、私の額に「孔雀にのった菩薩なる存在」の姿が映ると告げられました。

 「夫れ佛母孔雀明王と者、三世諸仏能生の慈父、一切衆生養育の母なり。慈悲広高にして覆護を群類に致し威力殊勝にして悉地を萬民に成す。恭敬供養すれば八萬の心患を除き受持頂戴すれば一百の壽算を保つ。しかのみならず悪法を消除せんと誓うて怨敵厭魅を却ぞかす。悩乱すること能わずと説いて邪魔鬼神を除く。いかに況や数月の旱災には甘雨を降らして国土を潤し累日の霖雨には雲を払って晴天と成す」と(三憲私記、孔雀経法)。
 
 この啓示を真摯に受け止め、全ての生命と共に歩む道場として「東光山 龍尚寺」を務めて 参りました。

 「龍」とは、生命の向上しようとする力強き向上力の象徴
 「尚」とは、私の名前の一部であり、尊き道を尚び進むという意
 「寺」とは、真理を共に学び、共に修行する場所のこと

 報身仏とは無辺の体である真理(法身)が、衆生への救いの働きとして実際に働く様相の一部であります。

 信じ難いかもしれませんが、己に正直に向き合い、仏道の本誓を抱え、道を進んでいると、実際に報身仏が現れます。また、過去の偉大なる師僧も導きをしてくださいます。 
 諸仏は決して人間の観念の想像ではなく、たしかに次元を超えた世界に存在しています

 「東光山」(山号)とは、インドに照らされた真理の光が大陸を渡り、海を越え、時を越え、極東の地域にて再び輝くという意味です。

 あなたには、貴方様ご縁の「報身仏」が御坐します。

 合 掌
葬儀・法要について
 龍尚寺における葬儀・法要は、単なる生死の営みを越え、
 故人の魂を大日如来の無限なる光明に帰入せしめる、
 尊き法界供養の行であります。

 生あるもの、すべては必ず逝く。
 されど、逝きし魂は、真なる供養と祈りの道を経て、迷いを越え、智慧と慈悲の海(阿字法界)へと帰りゆく。

 当山では、
 孔雀明王の無垢なる慈光を仰ぎ、すべての障礙を浄め、故人の意識が安らかなる覚醒へと導かれることを、
 心より祈念し、あなた自身の仏性が開眼されるために修法勤修しております。

 供養修法において、私たちが求めるもの、
 それは、
 
 **真実なる菩提心と敬誠の供養の真心(まごころ)**です。これを以て、三宝と法界に捧げていただける「思い」です。

  故人と、残されし御方々と、すべての生命が、

 そしてあなた自身が
 法界の大いなる光に溶け合い、
 永遠の平安と成就に至らんことをーー

 合 掌
真の自己信頼と本当の愛に立ち返るために
 少し前まで、偉大なる僧侶が皆さまを先導し、その導師を仰ぎ頼み、「私はこのままで、利益をください」という時代が続いておりました。

 しかしながら今、時代は大きな転換期を迎えております、
1,この母なる地球が、もはや耐えられないほどの限界環境に近づいております
2,様々な情報媒体の発達(スマホなど)として、真実の世の姿が見えてきております
3,多くの方が、「このままではいけない」と深いところで共通意識を分かち合ってきております 

 以上のことにより、
 この現世である、地上世界において、何かが変わらねばならない時代に突入致しました…。

 問題は明白であり、
 政治、農業、医療、教育、貨幣制度下の経済構造等々、、、
 
 外に見える問題の事実が明白になってきましたが、
 何を変えれば、問題は恒久的に良くなる(多くの人の幸せに)のでしょうか?

 それは、そのとおり、
 私たち一人ひとりの心の在り方です…。

 そして、私たちは、知りません…、

 「どのような心の在り方が、世界を完全に善愛平和たる働きをするのか…」ということを。

 ここに二つ現実問題があります、
 
 一つは、「私たちは生まれた時から、特別役立つ能力は持っていない、だから学習により外から学び身につけないといけないのだ…」という思い込みです。これは根本的な自己への信頼の欠如につながっております。
 
 二つ目は、自己と世界を真に深く愛するということ(真の愛の状態)を知らないそのような状態に至っていないという事実です。
 私たちが、真の愛の状態に至っているのなら、これほどまでに親子間、夫婦間、対人関係における憎悪・悲しみ・暴力・破壊という現実は起きていないはずです。

 さあ、そこで、これらの
 ・自己信頼を完全に取り戻すこと
 ・本当の愛の状態(他者と完全に調和して関われる)に立ち返るこ

 が、仏道なのです、=「法身の器になる」という意味であり、事実なれる境地なのです。

 外的な物質を求め、自我の思考をもって、これらの状態に回帰するために努力をしても、残念ながら非常に難しいことです。

 もし、あなたが、己の人生を正直に回顧し、私の過去の想念受け取り方が、どこかか間違っていたかも…、と感じ始められるならば、真に求める希望の光はすぐ近くにあるということも言えるのです。
 
合 掌

 

菩提心をもつ僧侶の育成について
 龍尚寺では、真に「すべての生命を救いたい」という、純粋たる菩提心に目覚めた方の育成を大切な使命としています。

 仏道とは、
 単なる形式や知識を学ぶことではなく、
 自らの内に眠る仏性に目覚め、
 他者の仏性をも信じ、育む道であると、私たちは信じています。

 【育成の理念】
・形式や学問ではなく、実際の「体験」「変容」を通じて仏道を学ぶこと
・個々の志を尊重し、菩薩としての歩みを深めること
・「我」を越え、法界の働きに生きる器となることを目指すこと

 
また、志しを共にする方には、正式な伝統に則った修行と伝法のもと、

 真言宗僧侶としての正式な資格(得度・教師)を取得する道も開かれております。

 龍尚寺では、
仏道を真摯に志す方に対し、
一人ひとりの歩みに応じた学びと実践の場を提供してまいります。

 あなたの心の奥に宿る、真実の慈悲と智慧が顕われるときを、共に喜び合いたいと願っています。  

 合 掌
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親との問題・人生への絶望・この現実社会におけるあらゆる精神的悩み・自己の信頼を失った方、それらすべての悩みある人こそ、偉大なる人格を発揮できる大きな可能性があるのです
寺院名(単立)
東光山 龍尚寺
住職
天弘
設立年月
2016年4月
住所
宮城県遠田郡美里町二郷字高玉三号18-2
見出し
見出し
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龍尚寺 真言宗、真の仏道、真の愛とは、因縁解脱、親子問題、長年の苦悩からの解脱、

宮城県遠田郡美里町二郷字高玉三号18-2
tel:0229ー88ー9140 mail:koshohoshina@gmail.com